2009.07.23|Thu|

練習 A-01

 忘れる。ということに対しては勤勉な僕も、忘れない。という怠惰を侵すことがある。
 そういうときは、だいたいにおいてキャパオーバーになっている。心臓がエンジンみたいに活発になって、カラダの隅々まで電気が行き渡り、覚えなくてもいいことも隅々までカラダが記憶する。その記憶の引き出しを開ける鍵があることを、僕は最近知った。というか、いつも同じ方法で引き出しを開けてしまったあとに、わー、となっていたのだけれど、知らぬフリをしていたのだった。
 今日、あの子に、とうぶん会いたくないと言った。特に理由があるわけじゃないけれど、とうぶん会いたくないと言うことで、本当は理由があるんじゃないか、ということを自分に問いただしたかったからだ。なんだかとても面倒くさそうな話だけど、簡単にいえば、気分じゃなかった。のである。でも、その天気みたいに掴みどころのないただの僕の気分にいつもつき合ってくれているあの子のことを想うと、いい加減に天気予報ができるくらいにはならないとさー、捨てられちゃうよ?ねえ。と僕が僕に言ってくるので、自分なりにがんばってみることにした。あ、がんばってみると言う前向きで健全な言葉を使ってはいるけれど、これはとてもじゃないけど相手に失礼でひどい仕打ちだということは、理解してる。つもりだ。これは僕にとって、大きな旗を掲げないとスタートできない迷惑で自分勝手なデモ行進なのだ。

 翌日いつもより早めに目が覚めたので、散歩に出かけることにした。午前9時。やっぱりデモ行進といえばテクテクテクテク。どこがスタートでどこがゴールなのかわからないところとか、ひとつの思いを胸に掲げてただただ歩いている感じがちょうどいい。参加したことがないから、正しいことは知らないけれどさ。とにかくそんな印象なのだ。
 持って行くものは、たばことライター。あとは100円玉を1枚と50円玉を1枚。いつもは財布を持っているんだけれど、今日に限っては、できる限り身軽にすることにした。お尻のポケットに全部詰め込んで歩くと、2枚のコインが歩くたびにカチカチと鳴る。その音がなかなか良いので、僕は腕を大きく振り、少しでも大きく音が鳴るように歩いた。カッチカッチカッチカッチ。通りすがりの人が決まって変な目で見てきたけれど、思いを胸に闊歩する僕の足どりを止めるには至らない。今日の僕は調子が良い。どこまでも行ける。行ける行けるぞ!と、思っていたけれど、体力は正直だ。すぐに呼吸があれてきて、カッチカッチカッチがいつのまにやらゼーゼーゼーに変わってった。ちょうど公園が見えてきたので、休憩を取ることにする。
 園内にある赤い自動販売機の前で、お尻のポケットに手を入れたら、少し汗ばんでるせいかなかなかお金をとりだせず、ライターとたばこをを地面に散らかして四苦八苦していると、老夫婦が少し離れたところから僕を見ていて、どうやら順番を待っているようだった。もはやズボンを脱ぐくらいしないと取り出せない気がしていたので、「どうぞー」と少し大きめの声で言って自動販売機の前をあけた。こちらに少し会釈をしながらテクテクと、二人は自動販売機の前までやってきた。
「冷たいのがいいね。」とおばあさんが言った。
「もうあったかいのは売ってないよ。」
「そりゃそーだね。だってもう夏だものね。」
 近くで見ると、思ったより二人ともシワシワで、たぶんもう70歳はゆうに超えている。
「暑い時に熱いものをとるのが健康にいいのにな。」
「でも、暑い時に冷たいものをとるのが気持ちいいんじゃない。ねえ?どれがいいの?」
 と、僕の方に向かっておばあさんが言った。あまりにも自然な言葉に、僕は
「ジョージアギアのアイスコーヒー。」と素直に言ってしまった。
 はっとして「いやいや自分で買います」と言い直すよりコンマ何秒か早く
「テスト自動車にずっと乗せられてるあの人たちにも飲ませてあげたいね。」
 と言いながらおじいさんがボタンを押し、ガコンっ、と下の取り出し口にペットボトルが転がり落ちた。そして、僕なんかよりぜんぜんまっすぐな背筋を折って、「ほいっ」と僕の前にコーヒーを差し出してくれた。「あ、や、代金を、ちょっと、あ、ありがとうございます」と僕はあたふたしてしてしまい、お尻のポケットに手を入れたまま頭を下げたら、バリっ!という音を立てて、ズボンのお尻が縦にぱっくりと破けてしまった。一瞬の沈黙のあとに、「がはははは」というおじいさんの豪快な笑い声と「あらあらあらー」というおばあさんの上品な失笑が起こり、「ははははは・・・すいません・・・」という声にもならないような苦々しい笑顔を僕は返した。
「とりあえず飲みな。コーヒー。」
 とおじいさんは快活な声で僕に言った。




posted by 610451 at 06:20 | Comment(0) | ことばの練習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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